第四話 お金(経済)という魔物について2018-11-19T15:28:41+00:00

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第四話 お金(経済)という魔物について

第四話 お金(経済)という魔物について

会社を設立して2年以上が経過した頃であろうか?
 
相変わらず、私たちの業界は電電公社の5か年計画とやらの延長線上で大忙しであった。
 
わが社も当時は中国地方の5県下をまるで、我が庭のように駆け巡って仕事を受注していた。
 
また同業者の社長は例外なく、いつも笑顔が絶えなかった。
 
それほど儲かっていたのである。
 
競争のように高級車を買い、夜の街を闊歩し、自慢することしきりであった。
 
ところが・・・である。
 
わが社は全く利益が出ず、累積の赤字は膨らむ一方であった。
 
仕事をやればやるほど資金繰りは苦しさを増すのである。
 
私の車は現場の仕事用も兼ねた廃車寸前の中古の軽四輪車であったし、1か月に28日以上仕事に励む毎日である。
 
でも給料は払えない、作業車の燃料代もお願いして支払いを待ってもらうような状態が続くのである。
 
 
この原因を今なら簡単に挙げられる。
 
・あまりにも資本金が少なすぎる(過小資本)。
 
従って売り上げは、そのほとんどが工具や消耗品、目先の備品を買って消えてしまった。
 
プレハブの名ばかりの社員寮でも最低限の設備は必要だ。
 
 
・完全なる技術不足。
 
会社の幹部である7人が全員、所詮、5年間のキャリアしかない。
 
 
・急激に仕事量が増えてきて、元請け会社から要請されるまま従業員を増やし、人件費はうなぎのぼりに上昇したが、それに比例して売り上げが伸びるわけではなかった。
 
特に未経験者ばかりが増えて、私たちは彼らの指導に明け暮れるばかりで利益には繋がらない。
 
あたかも、職業訓練所(?)のような状態になっていたと思う。
 
さらに追い打ちをかけるように、従業員の定着率は低く、入れ替わりが激しい分また一から教える手間ばかりがかかった。
 
退職金の設定も無い、福利厚生らしきものも皆無の状態では従業員が続かないのも押して知るべしであった。
 
 
・これまで私自身、幹部の7分の1以上の稼ぎをしていたつもりであったが、社員数や現場の数も増えてくると、そのための打ち合わせや会議なども増え、私が現場につきっきりでいられなくなった。
 
また、資金繰りの金策に走り回る時間も馬鹿にならない。
 
最も銀行は相手にしてはくれなかったので、元請けの元上司を訪ねて工事金の前借をお願いに広島本社へ通ったものだ。
 
親会社の担当の元上司からは「お金の合わない仕事ならやらなければいいのに」と言われ、何も答えられない自分が無性に腹立たしかったのを覚えている。
 
 
・もう一つ致命的であったのは、トップである私が経理事務(と言っても小遣い帳程度の事務でしかなかったが・・・)について全く見向きもしなかったことである。
 
当時の赤字経営の事実から目を背けようとする私の刹那的な弱い心が見え隠れする。
 
今は亡き忠田常務が経理事務の担当者ではあったが、お金の足りない分は一番に私の責任である。
 
仕事が終わって深夜まで故忠田常務と言い争う日々が続いた。
 
今でも私はこのことに対する反省として、次のようなことを周囲の人たちに進言している。
 
それは、会社では社長(特に中小企業では)が経理関係の帳簿類を精査することは当然であり、また家庭の所帯主にあっては家計簿を奥様と一緒に検討する時間をとるべきであり、決しておろそかにしてはならないということである。
 
 
・この頃になると私以外の幹部も徐々に結婚し、それ相応の生活給が必要となった。
 
当然ではあるが、人件費のアップ分は資金繰りの悪化に拍車をかけた。
 
それまでの“会社ごっこ”がいよいよ通用しなくなりつつあった。
 
 
・やっと気が付いたことでもあるが、条件の良い仕事を回してもらうためには新参者のわが社が親会社や同業他社の皆さんに認めてもらう努力が必要になってきた。
 
適切な交際費の使い方もわからないまま、成り行き任せに使うようになった。
 
また、社内では同業他社よりも安い給料に社員の不満は沸点に達して来つつあり、その対策にこれまた福利厚生的な飲食代がかさむ一方であった。
 
             ・・・・・・・・・E.T.C
 
 
ざっと、会社がこのように貧しい状態で個人が豊かなはずが無いのは当然で、私の家庭もどん底の貧乏をしっかりと味わっていた。
 
大金を拾って警察に届けようか?それとも?などと迷っている不届きな夢を見たのもこの頃であった。
 
ところで、それまでの私や6人の仲間は「一生懸命に働けば必ずお金は着いて来る。儲かるはずだ。」と信じて疑わなかった。
 
この考え方が物の見事にひっくり返ったのである。
 
会社経営に必要なお金がこんなに一生懸命に仕事をしても不足する事態は、私たちの中の誰もが全く予測していなかったのだ。
 
 
思えば我が国は資本主義社会である。
 
会社を立ち上げて経済活動を始めるには当然の事、その仕事をするために必要な元手を準備しなければならない。
 
それが私たちの5年間の退職金ぽっちで足りるはずもなかったのだ。
 
毎月の売上金は支払いの仕分けをする暇もなく、数か月前からの未払い経費で吹っ飛び、なおかつ払えない経費の催促に平謝りで右往左往する始末であった。
 
このように常識的にも全く理にかなわない創業で、いつ倒産しても不思議ではない状態であるにもかかわらず、それでもしぶとく(?)倒産しなかったのはやはり、ひとえに創立仲間の6人のお蔭であった。
 
給料の遅配やカットなど私以外のみんながこの頃まで独身者であったことがどれだけ助かったか?ということになる。
 
 
この頃からの私は私にとっての、この暗黒(?)時代を通じてお金に対する価値観や具体的な使い方、そしてお金は世の中をどう動き回るのか?などについて真剣に向かい合わざるを得なくなるのであった。
 
少なくとも、ビジネス社会では人はお金を中心に動いているものである。
 
しかし、やたらとお金そのものを欲しがる様は人の失笑を買うばかりか、徐々に人は自分から遠ざかって行く。
 
そして、ビジネス社会で最も大切な人脈づくり、また情報収集などもお金の使い方で大きく左右されるが、さりとて、お金の無駄遣いや意味のない出費はかえって自分の立場を不利にする。
 
さらに“ギブ アンド テイク”とよく言うが、あらかじめ、自分と相手の距離感や立ち位置などの違いを熟慮し、それらを尊重、配慮したうえでの“ギブ”や“テイク”を考え、実行しないとお互いに“効果無し”となる。
 
少し次元を異にするが、人間の人生観の中でのポイントに“命”、“お金”、そして“愛”などが散りばめられるが、たいていの場合“命”を中心に“お金”や“愛”の優先順位とか重要性が取り沙汰されるものだ。
 
しかし、私のこの暗黒(?)時代では、間違いなく中心には“お金”が位置していた。
 
ただ、普遍的に言えることとして“お金”は人の手から人の手に移動する時、良くも悪くも、当事者の心を伝える“生き物”となっていることだけはこの時代に学習した。
 
 
つくづく“お金”は“魔物”だと悟った。

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